Mr.Dewの Sports Discussion 第3回

「母国の期待・・・ 〜オリンピック・メダル獲得の期待における考察〜 」

 どうも、3ヶ月のご無沙汰でした。スポーツというもの、基本的には年がら年中あるものなので
すが、食指の動く話題が少なかったこと、テーマになりそうな題材に番狂わせの期待をかけていた
ものが、順当通りにおさまったり、と、お話ができそうなタイミングを逃してしまっていました。
とうとう3ヶ月も伸ばしてしまい、。申しわけございません。
 そして、さらにお詫びを一つ。前回の項で私、シアトル・マリナーズ、イチロー外野手がMVPを
獲得できないのではないか、という話をしましたところ、その後のニュースで伝わったのは、ご存
知の通り、見事にMVP獲得。正直、たまげたの一言でした。本当に、凄い。野球先進国・アメリカ
が、野球の本質に気づきなおした、まさにその瞬間ではないかなあ、と受けとめています。そして
、2月3日。彼は再びアメリカへと旅立ちました。今年もまた、マリナーズのチームの要としての
活躍を見ようではありませんか。

 さて、今回の本題に入りましょう。いよいよ、ソルトレークシティ・冬季オリンピックが開幕し
ました。スピードスケートの清水宏保、武田豊樹、三宮恵利子、大菅小百合。フィギィアスケート
の村主章枝、恩田美栄、本田武史。モーグルの上村愛子。ジャンプの葛西紀明、船木和喜、原田雅
彦。スケルトンの越和宏。ショートトラックの西谷岳文。活躍を期待したい日本人選手の名前を挙
げれば、本当にきりがありません。ところで皆さん、今回のオリンピックで、日本選手団がメダル
をどれぐらい獲得するだろうか、と考えてみたことはありますか?今、私がここに挙げた選手は、
少なくとも今年、オリンピックの報道が過熱するにつれ、メダルを獲得することを期待されたこと
のある選手です。しかし、不思議なことに、期待されるメダルの色がどういうわけか固定されてし
まっている場合が数多くありました。その色とはもちろん、「金色のメダル」・・・

 別にそれがよくない、といっているわけではありません。金メダルは当然の事ながら、自分の国
の選手が、最高の活躍をした証でもあるのですから。それを国民が称える、そのことになんの異論
もありません。ただ・・・オリンピックに至るまでのそれぞれの選手が歩んできたプロセスをよく
見た時に、それは過度の期待ではないのか、そこまで担ぎ上げていいのだろうか、と思う時もあり
ます。どう考えても、大きな活躍は期待できそうにない、そんな場合でも、日本人は最高の結果を
想定したりします。どうして、そこまでの感情に至ってしまうのでしょう?それは、日本人が、あ
る「キーワード」を心の奥底にとどめたまま、スポーツをとらえる傾向があるからなのです。その
「キーワード」とは何なのでしょうか。今回は、それを解きほぐし、メダル獲得を期待する心情に
ついて、考察してみましょう。
 では、その心情を解きほぐすにあたって、皆さんに質問をしてみたいと思います。それは・・・


  『あなたが夏季・冬季を問わず、過去、記憶に残っている、
            オリンピックで日本人がメダルを獲得した瞬間は何ですか?』


さあ、思い浮かべることができましたか?皆さんの答えとして私は次の4つを想定しました。
 @ 1998年長野オリンピック・ジャンプ団体金メダル・原田雅彦
 A 1996年アトランタオリンピック・陸上女子マラソン銅メダル・有森裕子
 B 2000年シドニーオリンピック・陸上女子マラソン金メダル・高橋尚子
 そして、昔を知る方には・・・
 C 1964年東京オリンピック・陸上男子マラソン銅メダル・円谷幸吉
だと思うのですが、皆さんはどのような答えをはじき出しましたか?

 これらを振りかえってみると、大きな感動をもたらしたものや、終わってみれば順当だったもの
、それぞれです。しかし、これらの出来事全てに共通する「キーワード」というと、なかなか見出
すのも困難です。ただ、この点を思い出してください。この4つのエピソードに登場するメダリス
ト達の、「メダル獲得前後の出来事」を。そこに、日本人が愛してやまない「キーワード」が隠さ
れているのです。そのキーワードとは・・・
                  「根性と忍耐」

 彼らがメダルを獲得する以前または以後に受け入れた試練は、まさにこのキーワードなしには語
ることのできないものでした。原田選手については、リレハンメル五輪ジャンプ団体、最終ジャン
パーとしてのまさかの失速。4年後の長野五輪での団体戦も、1回目の大ブレーキ。しかし、ネガ
ティブをポジティブに、持ち前の明るさで切り替えた4年もの間の努力は見放されることはありま
せんでした。結果はご存知の通り、2回目に神懸りのような大ジャンプを見せ、チームメートのフ
ォローも味方につけて金メダル。まさに、「忍耐」が彼を支えたといっても過言ではないでしょう
。
 有森選手の場合はどうか。アトランタの前回、バルセロナ五輪の銀メダル獲得という栄光を味わ
ったその後、アキレス腱を手術し、まともに練習ができない中、苦悩し、あがき、それでも確実に
選考レースで記録を残し、代表の座をもぎ取ると、本番では同じバルセロナ五輪の金メダリスト・
ロシアのワレンティナ・エゴロワと再び接戦を演じ、銅メダル。レース後、彼女の残した「自分で
自分を誉めてやりたい」この言葉がまさに、それまでの「忍耐」を象徴していることでしょう。
 マラソン女子世界最高記録を叩き出し、シドニー五輪金メダリストの高橋選手だって、例外では
ありません。オリンピックの前年・99年セビリア世界陸上で、有力候補と言われながら、脹繋靭
帯の炎症で出場断念。レース直前まで、小出監督に泣きながら出場を訴えた、と言うのは有名な話
です。それだけにとどまらず、金メダルを目指しての徳之島で行った合宿では出発直前、食中毒。
さらにその後のアメリカコロラド州・ポルダーでの高地トレーニングは、まさに、「根性」で切り
ぬけたと言ってもよいでしょう。
 昔の記憶をたどっては円谷選手。彼の栄光は東京五輪での銅メダルでした。しかし、彼の心の中
に、いつまでも忌まわしい記憶として残っていたのは、あの銅メダル獲得時、2位で競技場まで戻
ってきていながら、追走していたベシル・ヒートリー選手にかわされた事でした。日本中が注目す
る中で、自分が崩れる瞬間を見られた、このつらさをはね返すため、以後も練習に励んだ彼は、ア
キレス腱痛を抱え、手術以後も体が思うように動かず、それでも周囲の期待に応えたい、「根性」
で切り抜けようにもそれができないことを悟り、最後に選択したのは、自らの命を絶つことでした
・・・

 このようなつらい現実に立ち向かい、そして栄光を勝ち取った選手がいる。そういう感動のスト
ーリーには、最高の結果が待っているはず。忍耐・・・「耐え忍び」、根性・・・「自らの根本を
支える性質」が強ければよい。これらを過剰にイメージしてしまい、そう生きることをアスリート
に無意識のうちに課しています。その上で自らも最高の喜びを分かち合いたい、かつその結果が素
晴らしいものであってほしいと、これまた過剰に意識するがゆえに、最高の結果を想定してしまっ
ています。
 ただ気づくべきことは、期待するのは誰だってできるんだということです。そして、思いも自由
なのですが、それがアスリート本人を苦しめる場合もあるのだ、ということです。金メダルの次も
金メダル。銀や銅メダルの時は、それ以上の結果を次で、と。でも、よく考えてみてください。人
間は当然のごとく、老いる動物なのです。過去の歴史を紐解いても、4年後もまた、その実力を継
続した、というのは数えるほどしかいません。まして、4年に一度。そこに自分のピークを持って
くる。並大抵のことではありません。円谷選手のような現実もあるのです。アスリート本人は、最
高の結果を出す方法を私たちよりもよく知っています。また、そうあるために、数限りない努力も
しています。もっと、気楽に、暖かく見守ってあげることも、必要なのではないでしょうか?普段
は見ることのできないような、スーパープレーを楽しんでもいいんじゃないでしょうか?

 最後に、期待のあまり・・・というエピソードを紹介しておきましょう。これを見れば、暖かい
見守り方も必要だと思うはずです。
 かつて、日本の陸上短距離界が世界と肩を並べた瞬間がありました。陸上男子100m。その男
の名は吉岡隆徳(よしおか・たかよし)と言いました。時、昭和10年6月27日、甲子園競技場
で行われた関東・近畿・フィリッピン対抗戦男子100m決勝。この時彼は、当時の100mの世
界記録タイとなる10秒3で走りぬいたのです。それ以前の昭和7年、彼はロサンゼルス五輪にも
出場していました。しかし、決勝まで出場したものの、結果は6位。その後、彼は自らの生活の全
てを「走ること」に結び付けたといいます。食生活・普段の移動・果ては生理現象にいたるまで、
それを筋肉や瞬発力・推進力といった、100m走で必要な要素に結び付けていったのです。得た
結果は前述のような最高の結果でした。見事彼は、翌年のベルリン五輪代表となったのです。折し
も日本が世界と政治的・軍事的に関係の悪くなっていた時でした。そんな中で彼は、世界と立ち向
かえることのできる日本にとっての「戦力」であり、「神国・日本」を体現できる存在としてまつ
りあげられたのです。人は彼を「暁の超特急」と呼び、当時船旅でしか行くことのできなかったベ
ルリンへ向かう壮行会の時、彼は満場の人たちの中から、こんな声を聞いたといいます。『勝て!
勝たずして帰って来るな!』『日本の実力を世界に見せしめてやれ!!』
 かけられたあまりにも大きすぎるプレッシャー、そして期待・・・ベルリン五輪で彼が残したの
は、2次予選敗退、というあまりにも無残な結果でした・・・期待を裏切ったがゆえに、そして戦
時色が強くなり、彼の名は、記録の中で埋もれていくこととなりました・・・

 自然に、そして言葉にすることなく。静かに期待をかければ、彼らアスリートは、最高の結果を
残してくれるはずです。2週間という短い期間ですが、世界一のプレーを楽しもうじゃないですか
!                    
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