Mr.Dew の Sports Discussion         2001.11.6

第2回 「アメリカ野球界を動かす!?イチローの魅力」

 シーズン安打数242の新人最多記録、シーズン打率.350でアメリカンリーグ首位打者、盗
塁数56の盗塁王、オールスターゲームファン投票得票数No.1・・・これだけにはとどまらず、
細かいものを挙げていけば本当にきりがなくなってしまう。だがしかし、今年ほど日本人がアメリ
カ・メジャーリーグに注目し、また、中でもこの男の動向に一喜一憂した年も過去にない。シアト
ルマリナーズ・イチロー外野手。今年の彼の活躍がアメリカ野球界にもたらしたものとは、いった
いなんだったのだろうか。今回はこのテーマでお話してみよう。

 みなさんはメジャーリーグの野球、と聞くと、どのようなイメージが頭に浮かぶだろうか。とい
っても、イチロー外野手のイメージが強すぎて、それまで抱いていたイメージを思い出すのも少し
時間がかかると思うが、簡単な言葉でまとめれば、「パワーの野球」ということになりはしないだ
ろうか。

 メジャーリーグの選手として、有名な選手を挙げていけば、古くはベーブ・ルースに始まり、ハ
ンク・アーロン、マーク・マグワイアにサミー・ソーサ、そして今年のバリー・ボンズ、とくれば、
頭の中に浮かぶイメージは、ちょっぴりでっぷりとした、または筋肉質の体の大きなバッターが、
スタンドに向かって大きな当たりをぶっ放す、つまりはホームラン・アーティストというイメージ
がおそらく最初に浮かぶと思う。確かに、ホームランは数ある野球のプレーの中でもインパクトが
強い。メジャーリーグの例ではないので恐縮であるが、日本のホームラン・アーティスト、世界記
録保持者・王貞治は、ホームランの魅力についてこう語っている。

『ホームランを打ったとき、観客の全てが自分が打った打球のゆくえに注目する。そして、ダイヤ
モンドを一周する時、観客の全てが私の動きに目を向けてくれている。それはまさに、球場全体の
時間を俺だけが一人占めしているようなんだ。あれが味わいたくて、俺はホームランを打つんだよ』

 大打者の名言であると思う。また、野球というゲーム自体が、このプレーで全てがひっくり返る
可能性も秘めているだけに、ホームランを狙うことも展開のなかではよくある。ゲームの面白さを
考えた時に、ホームランが飛び出し、贔屓のチームのスコアの逆転を見たいというのは、観客が最
も期待するファクターの一つでもある。ゆえに、体格のすぐれた打者を集めて、チームの強さをア
ピールする、そんな「パワーの野球」が誕生するのもおわかりになるだろう。

 さて、イチローに戻ろう。彼にそのような打球を遠くへ飛ばすパワーがあるか、というと、お世
辞にも首を縦には振れない。事実、今シーズンも8本しかホームランは放っていない。もうまもな
く今シーズンのMVPが発表される。巷では彼が受賞するのではないか、という声があるが、おそ
らくこの点が選考においてネックになるのではないかと思う。それほど、イチローには「パワーの
野球」のイメージが当てはまらない。それならば、彼はどのような能力で認められるようになった
のか。それは、メジャーリーグの選手が持っていなかった、いや、というより忘れていたというほ
うが正しいのか。彼の持つ「並外れたスピード」なのである。これにより、アメリカ野球界に「ス
ピード」で戦術を立てる野球を思い出させたのである。

 ご存知の通り、今年度盗塁王をとれる位なのだから、また、日本での現役時代も同様であったか
ら、イチローの走力について、もはや言及することはないだろう。さらに付け加えるなら、今シー
ズン放った242安打のうち、正確な記録が手元にないのが残念であるが、相当数の内野安打があ
ったはずである。1塁ベースまでの走る距離が短くてすむ、左打者であるということを差し引いて
も、その走力は折り紙つき、文句のつけようがないことだろう。

 事実、彼によって一番影響を受けたのは、所属するチーム、シアトルマリナーズ自身だった。彼
の加入はそれまでのマリナーズが取っていた戦術を変更させたのである。それはどういうことか。
彼が加入する前のシーズン、マリナーズの1番打者を務めた選手が数人いたが、彼らの打率を平均
すると、2割4分程度だったのである。それが、今シーズン、不動の1番打者にイチローが座った。
今シーズン打率は先にも述べた3割5分。単純に考えてみてほしい。ゲームのオープニング、チー
ムに勢いがほしい時に、10試合に3〜4回、1回いきなりの攻撃にノーアウト1塁の場面が出来
るのである。その上、彼には盗塁も期待できるほどの走力がある。ノーアウト2塁、いや、3塁の
場面だってありうるのだ。誇大して考えれば、次のバッターの打撃如何によっては、あっさりホー
ムに返って先制点、ということも考えることが出来る。これは、後の3・4・5番打者、いわゆる
クリーンナップにかかる負担が小さくて済む。なんせ、大きな当たりを打たなくても、シングルヒ
ット級の当たりだけで、得点が入るのだ。 アメリカじゃわからない、何か他にわかりやすい例が
ないのか、という方には、日本の野球チーム、昭和の黄金期の阪急ブレ−ブスを思い出してみてほ
しい。あの阪急の黄金期、1番打者に誰が座っていただろう。そう、かつての世界の盗塁王、通算
盗塁数1065を記録した、福本豊その人である。いみじくも当時の阪急の監督であった上田利治
はこう語っている。

  『福本が塁に出ること、それでウチの勝ちパターンが出来る。先制点が期待できるからだ』

 今シーズン、勝利数116勝というメジャーリーグタイの記録を叩き出したマリナーズであるが、
クリーンナップにかかる負担が少なくなったことで、ゲーム終盤にも爆発が期待できる、それがこ
こまでの勝ちにつながった要因であると思う。「パワーの野球」がランナーをためて3・4・5番
のクリーンナップに期待をかける戦術を取るのに対して、「スピードの野球」は、1番・2番に期
待をかける戦術を取っていく。この戦術をイチローはマリナーズにもたらしたのである。
 
 こうした戦術は、かつてのアメリカの野球でも存在した。というよりは、かつてがそうだったの
である。よい例とも言えるのが、メジャーリーグ黎明期の1905年から28年にかけて活躍した、
タイ・カッブ(本名・タイラス・レイモンド・カッブ)である。彼は、その現役時代に実に419
1本の安打を放ち、「球聖」とも称されるほどであるのだが、彼がチームを勝たせるために考案し
たのは一体なんだったのか、といえば、それは、打球を遠くへ飛ばすための技術ではなく、むしろ、
如何にして走塁し、如何にして本塁に生還するか、ということであった。安打も数多く放ったが、
現在の走塁の基本である。ベースの内側、つまり、最短距離を蹴るように回るというのは、彼の考
案であるし、少し危険なスライディングを相手に繰り出すことで、後ろのランナーを生かし、ダブ
ルプレーの可能性を少なくする、というのも、彼の考案による作戦であった。つまり、もともとア
メリカ野球は「スピードの野球」を重視していたのだが、それは野球のそして、ホームランの持つ
エンターテイメント性から「パワーの野球」に取って代わられたのである。 

 それが、イチローの出現によって「スピードの野球」のよさが思い出されることとなった。これ
から先おそらく、アメリカ野球が変わる可能性があるだろう。それは、ここまで培ってきた「パワ
ーの野球」プラス「スピードの野球」、つまり、「スピード&パワー」のバランスの取れたチーム
が、これからは強いチームの構想として考えられていくのではないかと思う。

 イチローがもたらしたものは、これだけにはとどまらない。もう一つは、「経済面としてのメリ
ット」である。皆さんはNHK−BSのマリナーズの試合の中継、特にマリナーズの本拠地・セー
フコ・フィールドでの中継を見て、何らかの違和感を持ったことはないだろうか。その違和感とは、
バックネット裏のスポンサーである。アメリカである。シアトルである。なのに何故、球場の広告
が「日本語」なのだ。よーく思い出してほしい。バックネット裏の広告、つまり野球中継において
一番目立つあの部分が、日本語だったはずである。それも、「ゲームボーイ・アドバンス」・・・

 「ゲームボーイ」が登録商標の日本の会社はどこか。ご存知の通り、任天堂である。何故あんな
ところに任天堂の広告が・・・それもスポンサー料の中で最も高い、バックネット裏の部分。それ
もそのはず、任天堂は株式会社シアトル・マリナーズの筆頭株主。ということは、チームの経営に
おいて最も口を出せる立場なのである。事実、昨年の今頃、11月にイチローのマリナーズへの入
団交渉が行われたわけだが、その交渉や契約は京都市内のホテル、ならびに任天堂本社で行われた。
筆頭株主が会社の経営安定を望むのは当然である。日本のスター選手を自分のチームに移籍させた
い、と願うのは当然の成り行きだろう。そして今年のイチローの活躍。実は1977年のチーム創
設以来、マリナーズはずっと赤字経営だった。それが昨年、佐々木主浩の活躍により黒字に転じ、
今年は大幅な増収が見込めるという。おまけに、アメリカだけでなく、日本にまでこれだけ中継さ
れると、筆頭株主の任天堂もウハウハである。NHKという天下の公共の電波を使い、自社の製品
がCMされる。マリナーズのホームゲームはそのほとんどをNHKが中継したから、その影響たる
や、日本でプロ野球チームのオーナーになるよりもずっと大きいものである。また、選手自身につ
いていたスポンサーも一緒についてくる。イチローの場合は当然「イチロ・ニッサン」である。ア
ルファベット広告ではあったが、任天堂と同じくバックネット裏の広告にも、「NISSAN」が
でかでかと登場した。スター選手が移籍すれば、スポンサーまで移籍する。それは球団に新たな利
益を生む。そんなわけで、イチローは、今までになかった経営手腕、新しいビジネス・チャンスま
でも、演出したのである。

 もしかしたら、アメリカ球団の経営に新しく乗り出す日本企業が出現するかもしれない。有望な
日本人選手の流出が、これからも続くかもしれないのだ。それはそれで、危機的なことかもしれな
いが、日本人オーナーによる、ワールド・シリーズ制覇という、夢のまた夢のような話も、そう遠
い日のことではないのかもしれないのだ。

 今回は2つの点についてしかお話できなかったが、それほどまでに、今年のイチローの活躍は、
エポックメイキングな出来事であった。もっとも、これほどまでの活躍ができ得るためには、本人
の並外れた努力が必要ではあるのだが、国民栄誉賞を辞退する辺り、彼はプロフェッショナルであ
ると思う。来年、さらなる活躍を期待したいものである。が、過度の期待はほどほどに、ね。  

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